1971 |
ヨーロッパ・アルプス、及びスイス、オーストリア、イタリア、フランスなどを、
半年間にわたりスケッチ旅行
・後援:スイス航空 |
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1975 |
パプア・ニューギニアへスケッチ旅行 以後同地へ数十回訪問
・後援:ニューギニア国営航空 |
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1976 |
南太平洋スケッチ旅行(タヒチ全諸島、ニューカレドニア、ニューヘブリデス諸島など)
・後援:UTAフランス航空 |
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1979 |
二ューギニア国営航空の公式ポスターを制作 |
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1980 |
オーストラリア全土をスケッチ旅行
・後援:オーストラリア外務省 |
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1981 |
パプア・ニューギニア文化展をコーディネート
・於:銀座三越、飯山市(長野県) |
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1982 |
台東区(東京都)とマンリー市(シドニー)の姉妹都市縁結びをする |
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1983 |
シドニー・マンリー市より文化功労賞を受ける |
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フィージー諸島スケッチ旅行
・後援:フィージー政府観光局、タートル航空 |
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1983 |
パプア・ニューギニア新国会議事堂落成に伴い、日本政府より寄贈の「極楽鳥屏風」を制作 |
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1988 |
オーストラリア ケアンズ市より、同市の文化大使として表彰される |
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オーストラリア個展開催都市の小、中学校生に日本画の講演多数 |
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1990 |
インド文化交流庁(ICCR)の招聘によりインド全土をスケッチ旅行 |
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1991 |
ヒューストン・インターナショナル・フェスティバル日本祭の公式ポスターを制作 |
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同フェスティバル日本祭のアートディレクターを務める |
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以後、同フェスティバル委員会美術顧問 |
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1993 |
信州博覧会‘93 “インドウィーク”アートディレクターを務める |
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1996 |
インド ニューデリーに6年間在住し、インド全土、ヒマラヤ山脈(ラダック、ネパール、
シッキム、ブータン、アルナーチャル・プラデッシュなど)をスケッチ旅行
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在ネパール日本大使公邸落成に伴い、「ヒマラヤ・マチャプチャレ山」、
「シヴァとパールヴァバティー」の二点を制作 |
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ナムギャル旧王家、ラダック芸術文化研究所ディレクターに任命される |
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インド観光省の依頼で、ラダック観光ポスター3部作を制作
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1999 |
国際交流基金フェローシップ事業としてニューデリー及びヒマラヤ・ラダックにて日本画技法を指導 |
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ブータン王立美術工芸学校(ティンプー)にて、日本画の集中講義を行う
・後援:国際交流基金 |
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インド仏教セミナーを開催、
インドヒマラヤ アルナーチャル・プラデシュより
仏画師とラマ僧(計4名)を日本に招聘し、その技法と知恵を紹介
・主催:日印芸術研究所
・後援:鶴ヶ島市(埼玉県)、飯山市(長野県) |
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2002 |
インドより日本に帰国在住 |
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ニューギニア国営航空成田就航記念として、極楽鳥版画を制作 |
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2003 |
日本ブータン芸術委員会を設立、代表理事 |
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2004 |
ブータン王立美術工芸学校2校長を日本に招聘し、日本画技法などの実技指導を行なう
・主催:日本ブータン芸術委員会
・後援:国際交流基金、富山県、飯山市(長野県)、女子美術大学 |
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オールアバウト 日本画ウェブサイトに
週刊「山田真巳エッセイ」“風を食べて飛び続ける鳥”の連載を開始(全40週) |
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2005 |
オーストラリア北部、クイーンズランド熱帯雨林地帯(デェーントゥリーなど)
2000キロを四輪駆動車で走破
・後援:クイーンズランド州観光公社、ニューギニア国営航空 |
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ウェブサイト「日本画家 山田真巳」を開設 |
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2006 |
インド現代絵画展2007日本展実行委員会委員長 |
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IIFA, 国際芸術大学(インド)客員教授 |
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山田真巳を特集したテレビ番組 |
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・「ウイーク・エンド マガジン」ABC TV(オーストラリア)
・
「遠くへ行きたい」日本テレビ
・
「レイランド・ブラザーズ」Channel 7(オーストラリア)
・
「豪雪地帯で極楽鳥を描く」信越放送(日本語、英語版)
・
「スーパータイム」フジテレビ など
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